2008年03月30日
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杉並区、向陽中学校/下高井戸運動場にあった「お屋敷山古墳」という謎

Written By: 川俣 晶連絡先

 新しい謎を意図せずして掘り当ててしまいました。

 まさか、我が母校の敷地にかつて古墳=山が存在していたとは。しかも、「東京付近には珍しくりっぱな古墳」とは。

 以下に、それに関する記述を引用します。

お屋敷山

 向陽中学校(下高井戸三-二四-一、元下高中学)の校地内にあったと言われる「お屋敷山古墳」は、周溝を持ったものといわれている。この古墳上にはかって家が建てられたことがあったと伝えられ、俗にお屋敷山と称せられた。

 その後、大正年間に石槨が掘り出され、埋蔵品はことごとく散逸したと語られている。東京付近には珍しくりっぱな古墳で、東京府で史跡に指定する予定であったとも聞く。

(注: 石槨は「いしき」と読むらしい。建築用語辞典によると「棺を納めるために墓の中につくった石の部屋」)

 ちなみに引用元の書籍名はメモするの忘れました。まさか、こんな成り行きになるとは思わなかったので。杉並区発行の歴史関連の冊子で、杉並の古い地名に関するものだったと思います。あまりに、うかつ! (反省)

補足事項 §

 昭和4年、昭和14年の地図を見ると、確かに等高線で高い場所があるかのように描かれています。小さな山のような地形があったのはおそらく事実でしょう。

 ただ、位置的には向陽中学校と隣の下高井戸運動場にまたがるような印象です。スキャンして重ね合わせればもっと正確に分かると思いますが。

 また、よく覚えていませんが、確か下高井戸運動場で何かを発掘したという話があったような気がします。

消滅時期の推定 §

 昭和14年の地図には存在するように見えますが、昭和23年の航空写真では既に運動場になっているように見えます。それゆえに、少なくともこの期間に削り取られて平地にされたと推定できます。

素直には納得できない! §

 さて、この話は素直には納得できません。

 疑問点が山のように出てくるからです。

  • この場所は、神田川に削り取られて標高が低くなった場所になる。神田川が氾濫すれば水浸しになる。事実として向陽中学校のグラウンドは水はけが悪く、雨が降ると水たまりができてなかなか消えなかった。そんな場所に古墳を作るだろうか? あるいは、そんな場所の古墳が残るだろうか?
  • 昭和4年、昭和14年の地図の等高線を見ると、「山」は古墳らしい円形、方形、前方後円のような人工的な形には見えない。ゆがんだ自然な形に見えるが本当に古墳か?
  • 「東京付近には珍しくりっぱな古墳」となれば、たとえ埋蔵品が散逸したとしても、それなりに注目される有名古墳と思われるが、Googleで検索しても1つも出てこないのはなぜか?
  • 埋蔵品が失われても古墳そのものは大きな価値があると思われるが、それをあっさりと跡形もなく削って運動場や中学校を作るだろうか?
  • 向陽中に在学中、「我が校の敷地にあった素晴らしい古墳」の話を聞いた記憶が残っていないのはなぜか? (ちなみに、現在の向陽中の目玉は古墳ではなく万葉植物園だが、在学中にはまだ存在しなかったもの)

 というわけで、まずは疑問をメモしておくことにしました。

 なので、結論は無し!

その他の疑問 §

 向陽中学校の学校紹介>>沿革に書かれた「(H14)8.1 遺跡発掘調査」とは何だろう?

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